インドネシアの6万2,000以上の村にいる小商人が、毎朝スマートフォンで仕入れ資金を借りている。審査は数分、担保は不要。この仕組みを支えているのが、130年前にジャワ島の小さな町で「モスクの寄付金を村人に貸し出す」仕組みとして産声を上げた銀行——Bank Rakyat Indonesia(BRI)だ。
2025年通期の貸出残高は1,461兆ルピア(約12.6兆円)に達し、そのうち77.5%が中小零細企業向け。純利益は57.13兆ルピア(約4,920億円)で過去最高を更新した。世界最大規模のマイクロファイナンス銀行として、BRIはインドネシア経済のボトムを支えている。
モスクの金庫番が銀行になった日
1895年12月16日、ジャワ島中部の小さな町プルウォケルト。地元の貴族ラデン・ベイ・アリア・ウィルジャアトマジャが、ひとつの仕組みをつくった。モスクに集まる寄付金(ザカート)を、困窮した村人に低利で貸し出すという試みだ。名称は「De Poerwokertosche Hulp- en Spaarbank der Inlandsche Hoofden」——オランダ語で「プルウォケルトの原住民頭領のための貯蓄貸付銀行」。植民地支配下のインドネシアで、初めて「現地人のための金融機関」が誕生した瞬間だった。
ウィルジャアトマジャの動機は明快だ。当時のジャワ農村では、中国人やアラブ人の高利貸しが年利100%超で金を貸していた。収穫前の農民は運転資金を得る手段がなく、高利の罠にはまった。モスクに眠る金を活用すれば、この悪循環を断てると考えた。
構想は成功した。プルウォケルトの貸付銀行はすぐに周辺の町に広がり、「Volksbank(人民銀行)」として各地に設立された。1946年のインドネシア独立後、これらの銀行群は国営銀行として統合され「Bank Rakyat Indonesia」——直訳すると「インドネシア人民銀行」——という現在の名称を得た。
転機は1984年に訪れた。政府の農村経済活性化政策の一環として、BRIは全国に「Unit Desa(村落支店)」システムを展開し始めた。従来の支店の10分の1の規模で済むこの簡易支店を、農村部に大量に配置する戦略だ。この決断が、BRIの「マイクロファイナンス銀行」としてのDNAを決定づけた。1992年に有限責任会社化して商業銀行業務を開始し、2003年にはインドネシア証券取引所(IDX)に上場。政府は株式の一部を市場に放出しつつも、現在に至るまで過半数の53.2%を保有し続けている。
貸出の8割が中小零細企業——マイクロ特化の事業構造
BRIの事業構造は、インドネシアの他の大手銀行とは根本的に異なる。貸出ポートフォリオの77.5%が中小零細企業(MSME)向けで、これを「ウルトラマイクロ・マイクロ」(43%)と「中小企業」(35%)に分けて管理している。法人・コーポレート向けは15%、個人消費者ローンはわずか7%にすぎない。
この構造が生み出すのが、業界最高水準の純金利マージン(NIM)7.9%だ。マイクロ融資は1件あたりの金額が小さい代わりに金利が高く、不良債権率(NPL)も2.4%と管理可能な水準に抑えられている。「薄利多売」ではなく「小口高利多売」とも言える独自のモデルだ。
2025年通期の業績を見ると、貸出残高は前年比12.5%増の1,461兆ルピア(約12.6兆円)、営業収益は158兆ルピア(約1.36兆円)、純利益は57.13兆ルピア(約4,920億円)に達した。2026年第1四半期も勢いは衰えず、純利益は前年同期比13.7%増の15.19兆ルピアを記録している。
収益を支えるインフラは2つ。ひとつはモバイルバンキングアプリ「BRImo」で、ユーザー数は4,270万人。インドネシアで最もダウンロードされた銀行アプリだ。取引の99%がデジタルチャネルで完結しており、支店に来る必要がほぼない。もうひとつは「AgenBRILink」——全国120万人の個人エージェントが、銀行の代わりに村落で入出金や送金サービスを提供する仕組みだ。6万2,000以上の村をカバーし、国土の85%に金融アクセスを届けている。
「利益三つ巴」——BCA・Mandiriとの競合関係
インドネシア銀行業界のトップ3は、いずれも純利益50兆ルピア超の「メガバンク」だ。ただし、3行の性格は大きく異なる。
BCA(Bank Central Asia)は時価総額でインドネシア最大の上場企業。富裕層と大企業をメイン顧客とし、低コストの当座預金・普通預金(CASA比率80%超)で資金を集め、高い利益率を実現している。2025年の純利益は57.5兆ルピアでBRIとほぼ互角だが、NIMは5.5%と低い。BCAは「少数の大口顧客を手厚くケアする」タイプの銀行だ。
Bank Mandiriは総資産でインドネシア最大。1998年のアジア通貨危機後に4つの国有銀行を統合して誕生した比較的新しい銀行だが、法人融資とインフラ投資に強みを持つ。2025年の純利益は56.3兆ルピア、NIMは5.1%。政府系の大型プロジェクト融資に深く関与している。
この三つ巴の中でBRIの独自性は明確だ。NIM 7.9%は3行中で突出して高い。これは「小口高利」のマイクロ融資に特化している証拠だ。BCAが富裕層の預金を低コストで集め、Mandiriが大型法人融資で稼ぐのに対し、BRIは「数百万人の小商人から少しずつ金利を得る」モデルで同等の利益を叩き出している。
強みと課題
強み1:比類なきラストワンマイル網
BRIの最大の強みは、インドネシア全土に張り巡らされた物理的なネットワークだ。支店・簡易支店あわせて約8,900拠点に加え、AgenBRILink 120万人のエージェント網がある。インドネシアには1万7,500以上の島があるが、BRIは銀行が存在しない僻地にまで金融サービスを届けている。新規参入者がこのネットワークを一から構築するのは事実上不可能だ。
強み2:Ultra-Micro Holdingによるフルカバレッジ
2021年に完成した「Ultra-Micro Holding」——BRI本体に加え、質屋事業のPegadaian(ペガダイアン)と低所得者向け少額融資のPNM(ペルモダラン・ナシオナル・マダニ)を傘下に統合した仕組みだ。BRIの銀行口座を持てない層にはPNMが融資し、PNMの顧客が成長すればBRIの口座に「卒業」する。この垂直統合により、顧客2,350万人をカバーしている。
強み3:デジタル化の成功
BRImo(モバイルアプリ)の月間アクティブユーザーは2,900万人超。取引の99%がデジタルで完結しており、農村部のエージェントが紙の台帳を使う時代は完全に過去のものとなった。
課題1:フィンテックとの競合激化
DANA、OVO、GoPay、ShopeePay——インドネシアのデジタル決済市場は群雄割拠だ。マイクロ融資の領域でもAkulaku、Kredivo、Modalku(Funding Societies)などのフィンテック企業が侵食を始めている。BRIの強みは規制で守られた「銀行免許」だが、フィンテック企業の審査スピードとUXは日々進化している。
課題2:政府支配のリスク
株式の53.2%を政府が保有する国有企業として、BRIは政策的貸出の要請を断りにくい。大統領の選挙公約が「MSME融資の拡大」を含む場合、BRIは利益度外視で融資を伸ばす圧力にさらされる。2025年は不良債権率が2.4%に抑えられたが、経済減速期にこの数字が急上昇するリスクは常にある。
最近の動向と今後の展望
2025年3月、BRIはトップ交代を迎えた。8年間CEOを務めたSunarsoが退任し、後任にHery Gunardiが就いた。Sunarso時代の「Ultra-Micro戦略」を継承しつつ、Heryは「MSME以外のセグメント——特に法人融資とトレジャリー——の比率を引き上げる」方針を打ち出している。マイクロ一辺倒からの「分散」が新経営陣の課題だ。
2026年第1四半期の業績は好調だ。純利益は15.19兆ルピア(前年同期比+13.7%)、貸出残高は1,509兆ルピアに拡大した。BRImoのユーザー数は4,270万人に到達し、アプリ経由の融資申込比率が急伸している。また、BRIはAIを活用した信用スコアリングモデル「Agunan(担保)レスAI」の本格稼働を開始。従来は融資審査に数日かかっていた案件を、AIが数分で可否判定する仕組みだ。
時価総額は約459兆ルピア(約3.96兆円)。インドネシア証券取引所でBCA、Bank Mandiriと並ぶ「銀行トップ3」の一角を占め続けている。政府が保有株を追加放出する観測は現時点でないが、中長期的には外国人投資家の持分比率拡大が取り沙汰されている。
日本企業・ビジネスパーソン向け なるほどポイント
1. インドネシアの「銀行口座を持たない層」は今も人口の3割以上
BRIのビジネスモデルが成立する背景には、インドネシアの金融包摂率がまだ66%程度(世界銀行Findex 2021)という現実がある。残る3割以上の成人が銀行口座を持っていない。この層にリーチすること自体がビジネスチャンスだ。
2. 「エージェント・バンキング」は東南アジアの標準インフラになりつつある
BRIのAgenBRILink(個人がスマホ1台で銀行代理店を営む仕組み)は、フィリピンのGCash、ケニアのM-Pesaと並ぶエージェント・バンキングの成功事例だ。日系フィンテック企業がインドネシアに進出する際、BRIのエージェント網との連携は有力な選択肢になる。
3. 国有銀行の「政策的貸出」は日系企業にとって逆風にもなる
BRIが政府の意向でMSME融資を優先する結果、外資系企業・日系企業への融資枠が相対的に絞られることがある。インドネシアで運転資金を調達する際、国有銀行よりもBCAのような民間銀行のほうが外資に対して柔軟な場合がある。銀行選びの際に留意したい構造だ。
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