2026年5月、ジャカルタのTelkom本社でDian Siswarini社長兼CEOが記者団に語った。「我々は60を超える子会社を抱えてきた。これを整理し、隠れた資産価値を解放することがTelkom 3.0の使命だ」——170年の歴史を持つインドネシア国営通信の頂点に、2025年5月、同社初の女性CEOが立った。
Telkom Indonesiaの起点は1856年。オランダ植民地政府がバタビア(現ジャカルタ)とブイテンゾルグ(現ボゴール)の30キロを電信線で繋いだ瞬間に遡る。それから170年、戦争・独立・民営化・通信規制緩和を経て、Telkomは今、Telkomsel(モバイル契約1.58億)、IndiHome(家庭向け光回線)、NeutraDC(データセンター)など多事業を傘下に抱えるアジア有数の通信コングロマリットへ姿を変えた。インドネシア政府が今も52.09%を保有する「国営の象徴」でもある。
植民地の電信線から170年——4つの転機が作った国営通信
1856年10月23日、バタビアの欧州人街の一角で、オランダ植民地政府の技師たちが電信機の最終調整を進めていた。バタビア-ボゴール間30キロを結ぶ電磁式電信線——アジアにおける電気通信の幕開けの日だった。当初の目的は明快だった。植民地行政と現地のオランダ商人の通信ニーズを満たすこと。馬で2日かかる伝達が、電信なら数分で済むようになった。
1882年には電話サービスが導入され、1906年にオランダ政府は郵便・電信・電話を統合した国営機関「PTT(Post-, Telegraaf-, en Telefoondienst)」を発足させた。この時点でTelkomの前身は誕生していた。1942年から1945年までの日本軍占領期、1945年の独立宣言、1949年のオランダからの主権移譲——通信インフラはそのまま新国家インドネシアに引き継がれた。
1965年7月6日、スハルト政権発足前夜の混乱期に、政府は通信事業に大きな決断を下した。郵便と通信を分離する——Pos Giro(現在のPos Indonesia)と「PN Telekomunikasi」が誕生し、後者が現Telkomの直接の前身となった。郵便と切り離されたことで、通信は工業と歩調を合わせて近代化を進められるようになった。
2つ目の大きな転機は1991年だ。インドネシア政府はPerumtel(国営通信公社)を株式会社「PT Telekomunikasi Indonesia (Persero)」に組織変更した。法人化(corporatization)というプロセスを経て、政府部門でしかなかった通信が「会社」になった。1995年11月14日、PT Telkomは独立後初の大型民営化案件としてジャカルタ証券取引所(IDX、当時はJSX)とニューヨーク証券取引所(NYSE)に同時上場した。政府は株式の一部を市場に放出したが、過半数の支配権は手放さなかった。
3つ目の転機は2009年。子会社Telkomselのモバイル契約数が1億を突破し、東南アジア最大の移動体事業者となった。Telkomselは1995年にTelkom(65%)とSingTel(35%)の合弁で設立されたが、その後の急成長で連結売上の大半を稼ぐ「親より大きい子」となった。Telkom Indonesiaという企業体の実態は、この時点で「固定電話会社+モバイル合弁の持株会社」へと姿を変えていた。
そして2025年5月、4つ目の転機が訪れた。Dian Siswarini氏が、Telkom史上初の女性社長兼CEOに就任した。前職はXL Axiataの社長兼CEO——つまり、Telkomsel最大の競合の経営トップだった。競合のトップを国営通信のトップに据えるという人事は、業界に衝撃を与えた。彼女のミッションは明確だ。60を超える子会社を整理し、データセンターと光回線インフラを軸にした「Telkom 3.0」を組み立てる——アナリストはこの戦略を「TLKM 30」(Telkom Thirty)と呼んでいる。
事業構造——Telkomselが稼ぎ、IndiHomeが家計を支え、NeutraDCが未来を作る
Telkom Indonesiaの2025年通期(暦年ベース)連結売上は146.7兆ルピア(約1.27兆円)、EBITDAは72.2兆ルピア(EBITDAマージン約49%)、純利益は17.8兆ルピア(約1,535億円)に達した。事業セグメントは大きく3つに分かれる。
最大の収益源はモバイル事業のTelkomselだ。連結売上の約6割を稼ぎ出す。プリペイドSIMが主力で、ARPU(契約当たり月額)は競合より高い水準を維持している。2025年Q3の契約数は1億5,760万、市場シェア45%。インドネシア人口2億8,300万人のうち、約54%がTelkomselを使っている計算になる。SingTelが35%を出資する合弁会社で、配当を通じてSingTelの財務にも貢献している。
2番目の柱が固定回線・家庭向け光回線(IndiHome)。連結売上の約25%を占める。IndiHomeはインドネシア国内で900万世帯以上が契約する家庭向けインターネットサービスで、テレビ・電話・インターネットの3点パッケージで提供される。2023年にはTelkomsel本体に統合され、モバイルと固定の融合(コンバージェンス)戦略が進められている。
3番目が法人・データセンター・その他のセグメントで、連結売上の約15%。ここに2022年設立のデータセンター事業NeutraDCが含まれる。インドネシアとシンガポールに34拠点、容量は2024年時点で42MW。2025年中に55MW、2030年までに500MWへ拡大する計画だ。シンガポール-ジョホール-リアウ(SIJORI)の地理的優位を活かし、ハイパースケーラー(Amazon AWS、Microsoft Azure等)の誘致を目指している。2025年のNeutraDC Summitでは、AIインフラ向け新製品「Neutra Compute」「Neutra Connect」を発表した。
事業構造を見ると、Telkomの稼ぐ力はやはりTelkomselに依存している。一方で、モバイル市場の成熟化により、Telkomselの成長率は2024年から鈍化している。2025年通期で営業収益のうちレガシー(ボイス・SMS)減少が利益を圧迫し、2026年Q1の純利益は前年同期比21.7%減の4.34兆ルピア(約374億円)となった。売上自体は1.5%増の37.18兆ルピア(約3,205億円)と微増だが、コストが先行している。アナリストの見立ては「短期は痛い、中期は分散が効く」——NeutraDCと光回線インフラの収益化が本格化する2027年以降を待つ姿勢だ。
3社体制への収れん——Telkomsel・IOH・XLSMARTの構造
インドネシアのモバイル通信市場は、2025年に大きな構造変化を経験した。XL AxiataとSmartfrenの経営統合により、市場プレイヤーがTelkomsel・Indosat Ooredoo Hutchison(IOH)・XLSMARTの「3社体制」に収れんしたのだ。3社合計で契約数3.33億——インドネシア人口を超えるサブスクライバーが、3つの事業者の間で分け合われている。
Telkomselの強みは「3つの数字」に集約される。市場シェア45%(他社を圧倒)、ARPUの首位、そして通信品質のスコア(独立調査機関OpenSignalによる)で4G・5Gとも国内最高評価。さらにTelkom本体が持つ全国20万キロ超の光ファイバー網がモバイルのバックボーンを支えており、競合が容易には埋められない物理的優位を持つ。
IOHは2022年にQatarのOoredooと香港のCK Hutchison Holdingsの傘下にあった「Indosat Ooredoo」と「Hutchison 3 Indonesia」が経営統合して誕生した。契約数9,540万、シェア28%。中東・香港資本の連合体としては東南アジアでも珍しい。低価格戦略と若年層への訴求で勢力を伸ばしてきたが、Telkomselの牙城を切り崩すまでには至っていない。
XLSMARTは2025年4月に経営統合が完了したばかりの新会社だ。Axiata Group(マレーシア)が支援するXL Axiataと、Sinarmasグループの携帯子会社Smartfrenが一緒になった。契約数7,960万、シェア27%。経営統合の効果でネットワーク重複の解消(コスト削減)が進む2026年後半以降、競争力が増すと見られる。Dian Siswarini新CEOの古巣でもあり、Telkomselは「中で何が起きるか最もよく分かっている経営者を取り込んだ」と言える。
3社体制への移行は、インドネシア通信市場の収益性回復の起点になる可能性が高い。過去10年間、Telkomselでさえ4社競争の価格戦争で利益を削られ続けてきた。プレイヤーが3社に減れば、激安プラン競争に終止符を打ち、価値訴求(5G、家庭セット、コンテンツ)で稼ぐ構造へ移行できる。Bangkok Postなど海外メディアもこの構造変化に注目している。
強みと課題
強み1:国営の信頼と全国インフラ
政府が52.09%を保有し、「golden share(拒否権付き株式)」も保有することで、外国資本の支配や戦略の急変は起きにくい構造になっている。さらに全国20万キロ超の光ファイバー、4G/5G基地局約30万局、データセンター34拠点——170年かけて作り上げた物理インフラは、他社が短期間で再現できないTelkom最大の資産だ。
強み2:SingTelとのTelkomsel合弁
SingTelが35%を出資するTelkomselは、東南アジア最大の移動体事業者であると同時に、SingTelグループの「ASEANネットワーク」の中核に位置する。シンガポール本社の技術・資金・国際展開力と、Telkomの国内基盤の組み合わせは、競合のIOH(中東+香港資本)やXLSMART(マレーシア+地場資本)よりも統合度が高い。
強み3:データセンター事業の早期布石
NeutraDCは2022年設立と新しいが、Telkom本体の電力・冷却・通信インフラと連動した「フルスタック」データセンターを展開している。2030年に500MWまで拡張する計画は、ASEAN域内のハイパースケーラー誘致競争でマレーシア(ジョホール)・タイと並ぶ規模だ。
課題1:レガシー事業の縮小ペース
固定電話・SMSなどレガシーサービスの売上減少が続いており、2026年Q1の利益急減の主因はここにある。レガシーをいかに穏やかに縮小しつつ、データセンター・光回線などの新収益源を立ち上げるかが経営の最大の課題だ。
課題2:60超の子会社の整理
歴史的に積み上がった子会社群は、機能の重複と非効率を生んでいる。Dian Siswarini CEOが掲げる「TLKM 30」戦略の核心は、この子会社整理(streamlining)にある。光ファイバー資産を新会社「InfraNexia」に集約する案も2026年中に決着の見込みだが、組織再編には抵抗もつきまとう。
課題3:3社体制での競争維持
XLSMARTの経営統合が完了し、IOHも体制を固めた今、Telkomselのシェア45%を維持し続けるのは容易ではない。5G投資、コンテンツ提携(Netflix、Disney+等)、家庭・モバイル一体化プランで、長期顧客を逃さない構造を作れるかが問われる。
最近の動向と展望——「Telkom 3.0」と500MWのデータセンター
2026年1月、Dian Siswarini CEOはWorld Economic Forum(WEF)ダボス会議の場で、Telkomの新戦略を国際投資家に向けて披露した。柱は4つ。Personal Excellence(人材改革)、Streamlining(子会社60超の整理)、ホールディング体制の再構築、そして隠れた資産価値の解放(unlocking hidden asset values)。総称が「Telkom Thirty(TLKM 30)」または「Telkom 3.0」だ。
2026年内の具体的なマイルストーンは2つある。1つ目は光ファイバー資産を新会社「InfraNexia」(旧仮称FiberCo)に切り出す案件で、2026年半ばまでに完了予定。2つ目はNeutraDCの容量拡張で、年内に55MWへ到達する計画。さらにシンガポールのSembcorpと結んだMoUに基づき、SIJORI地域での持続可能なデータセンター開発を進める。
Selular.IDなど現地メディアは「Q1 2026の利益急減は短期ショックだが、TLKM 30の方向性は正しい」と評価している。Telkomの時価総額は約2,800億円規模で推移しており、米国NYSE上場分(ADR、ティッカーTLK)を通じて海外機関投資家もポジションを取り続けている。170年企業が「光回線とデータセンター」で次の100年を作れるかどうか——2026年から2030年の5年間がその試金石となる。
日本企業・ビジネスパーソン向け なるほどポイント
1. インドネシア通信市場は「3社時代」に入った
4社競争の価格戦争が一旦終わり、Telkomsel・IOH・XLSMARTの3社が価値競争(品質・コンテンツ・家庭セット)へ移行する構造変化が起きている。日系コンテンツプロバイダー(動画配信・ゲーム・教育)にとっては、3社それぞれと提携交渉する余地が広がる局面だ。
2. 「国営+SingTel合弁」というハイブリッド統治
Telkomは政府が過半数を保有しながら、子会社Telkomselでシンガポール資本(SingTel)と組むという独特の統治形態を取る。インドネシアでの大型事業を組み立てる際、「国営の信頼性」と「外資の機動力」を両立させるモデルとして参照する価値がある。
3. ASEANデータセンター競争にインドネシアが本格参戦
NeutraDCの500MW計画は、マレーシアのジョホール(SCG・YTL・GDS等)、タイのBOI誘致、シンガポールの拡張規制という地政学的な構図の中で、インドネシアが「電力+土地+人口」の総合力でAIインフラを取りに行く宣言だ。日系のデータセンター事業者・電力エンジニアリング・冷却機器メーカーにとっては、2026年から2030年にかけてSIJORI地域全域で案件が膨らむ可能性が高い。
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