2026年5月に入り、バンコクで飲食店や小売を営む中小事業者にとって「明日の値札」を決める3つの指標が同時に動いた。タイ商務省が5月6日に発表した4月の消費者物価指数(CPI)は前年同月比2.89%上昇し、2023年2月以来の高水準を記録した。タイ中央銀行(BOT)の目標レンジ1〜3%の上限近くだ。タイエネルギー規制委員会(ERC)は5〜8月期の電気料金を1ユニット3.95バーツ(前期比+1.8%)に設定。さらに5月8日、PTTとBangchakが燃料を一斉に85サタン値下げした。仕入と運営コストの両方が動く局面で、屋台・カフェ・小規模レストラン・小売店のオーナーは何を見て判断すべきか、整理する。
4月のCPI上昇の主因は、中東情勢悪化に伴う燃料価格の上昇だ。これが公共交通運賃、外食価格、酷暑による生鮮野菜価格の上昇に連鎖的に波及した。コアCPI(生鮮食品とエネルギーを除いた指標)も0.83%(3月0.57%)に加速しており、一過性の現象ではなく、価格上昇の裾野が広がっている。屋台や小規模レストランで野菜・調味料・米の仕入価格が押し上げられている実感は、4月の数字に裏付けられた格好だ。
仕入価格の上昇は、すべて値札に転嫁できるとは限らない。タイの家計債務は2026年初頭時点で世帯の62.44%が負債保有(前年50.99%から急拡大)、低所得層では98%が負債を抱え、79%超が貯蓄ゼロとされる。客単価を上げると来客が減るリスクが大きく、「上げられる価格」と「上げると客が逃げる価格」の見極めが死活問題となる。
前年同月比
(バーツ/ユニット)
負債保有率
電気代は階段式軽減の対象外、商用は満額負担
電気料金の3.95バーツ/ユニットには注意点がある。家庭向けには階段式軽減が導入され、月200ユニット以下の世帯(約1,540万世帯)は3バーツ未満で、201〜400ユニットの世帯は超過分のみ通常レートとなる。一方、商用契約はこの軽減対象外で、飲食店・小売店は満額3.95バーツが基準だ。
本来、液化天然ガス価格の上昇から理論値では18%引き上げが必要だったが、ERCは約94.7億バーツの「クローバック資金」(電力会社の超過利益)を取り崩し、上昇分を1.8%に抑えた。9月以降の電気料金がどこまで上がるかは、9〜12月期の改定発表(8月後半〜9月)で決まる。クローバック資金の取り崩しは恒久的な対策ではないため、年後半は段階的な引き上げを覚悟しておく必要がある。
PTTとBangchakは5月1日に値上げ、5月8日に85サタン値下げと、わずか1週間で反転した。中東情勢、原油市場、為替(強いバーツ)が複合的に影響しており、月次の変動が大きい。配達バイクの燃料費、デリバリー手数料、配送料金の設定は、月初に「今月の基準」を決めて、月末まで動かさないルールを作るのが現実的だ。日次で追うと判断疲れが出るため、月次の固定運用がおすすめ。
観光客の戻りで来店ベースは底堅い
コスト面では厳しい局面だが、来店ベースは底堅い。タイ観光当局の集計では5月3日時点で外国人入国者の累計が約1,197万人。直近1週間では中国が全体の22%を占め前週比31%増、日本は週次105%増、マレーシアも26%増と、アジア圏が観光回復を牽引している。一方で中東地域からは前年比57%減、欧州からも16%減と、地政学リスクの影響を受けている。
地方や繁華街の飲食店・小売店にとっては、中国語・マレー語のメニュー対応や、決済端末側のWeChat Pay/PromptPayの切替が来店転換に直結する局面だ。タイ旅行業協会(ATTA)は強いバーツ(30〜32バーツ/米ドル)と国際線運賃高止まりが効き、2026年通年の外国人観光客数が当初目標から下方修正で3,000〜3,200万人にとどまる可能性を示している。客単価の高い欧米個人客は他国に流れる可能性が高く、アジア圏の中間層客向けの価格設計が重要になる。
明日から何をすべきか——4つの実務
第一に、月次の「コスト基準値」を決める運用を始めることだ。CPI、電気代、燃料、主要食材(米、野菜、肉、調味料)の単価を月初に1度確認し、その月のメニュー価格・仕入予算・配送料金の基準にする。月中は基準を動かさない。日次で追うと判断疲れと顧客の混乱を招く。
第二に、「価格を上げる商品」と「価格据え置きで量を絞る商品」を分ける。常連客が値段を覚えている定番メニュー(パッタイ、ガパオ、トムヤムクン等)は据え置きで盛り付けや材料を微調整し、季節限定や新メニューで利益を取る構造に切り替える。「全品値上げ」は来客減を招く。
第三に、決済手段の整備だ。PromptPayはタイのSMEで普及率96%に達し、観光客向けのWeChat Pay/QRIS等のクロスボーダーQR決済も整備が進んでいる。一方、現金取引は依然として取引額の78%を占める。観光客の多い立地ではWeChat Pay・PromptPayの両対応、地元客中心の立地では現金とPromptPayの2本柱で運用するのが現実的だ。
第四に、仕入先の分散と配達コストの見直しだ。バンコク中心部のレストランでも、卸売市場(タラート・タイ等)と複数のオンライン業者を組み合わせ、月次で最安値を取る運用が現実的になっている。Grabや LINE MAN Wongnai経由のフードデリバリーは月の取引比率が増えているため、デリバリー手数料の交渉余地と直接注文の比率引き上げが利益を左右する。
9月以降に注意すべきこと
第一に、9〜12月期の電気料金改定だ。8月後半〜9月にERCが次期の単価を発表する。クローバック資金の残高が限られるため、5〜8月期と同水準を維持できる保証はない。9月以降の月次コスト試算で、最大10%の電気代上昇シナリオを織り込んでおく。
第二に、最低賃金改定の動向だ。アヌティン政権下で最低賃金引き上げの動きが議論されている。確定情報は出ていないが、シフト体制の見直しと自動化(POS、注文タブレット等)の導入の準備を始めるべき局面だ。
第三に、フードデリバリー寡占化への対応だ。GrabとLINE MAN Wongnaiの2強体制が進んでおり、手数料引き上げの交渉力は事業者側で弱い。直接注文(LINE公式アカウント、店舗SNS)への誘導と、配達手数料を価格転嫁できる商品設計(プレミアム弁当、ファミリーセット等)を組み立てる必要がある。
明日から押さえたい3つのポイント
第一に、月初に「コスト基準値」を確定させる運用が、判断疲れと顧客混乱を避ける現実的な方法だと考える。CPI・電気代・燃料・主要食材を月1回確認し、月中は基準を動かさない。月次の固定運用は、毎日の小さな判断を減らし、お店の運営に集中できる時間を生む。
第二に、価格戦略は「全品値上げ」ではなく「定番据え置き+新メニューで利益を取る」構造への切替えが効く。常連客が値段を覚えている定番は据え置きで微調整、季節限定・期間限定で利益を確保する。これは大手チェーンも採用している基本戦略で、中小事業者でも応用可能だ。
第三に、観光客回復のチャンスを取りこぼさない決済・言語対応への投資が、アジア圏(特に中国・日本・マレーシア)の中間層客の取り込みに直結する。WeChat Pay/PromptPayの両対応端末、簡易な多言語メニュー(QRコードで電子メニューに飛ばす形でも十分)の整備は、コスト対比で投資回収が早い。観光客回復が確実視される下半期の準備として、5月中の着手が望ましい。

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