ドイツの半導体大手Infineon Technologies(インフィニオン・テクノロジーズ)が、タイ・サムットプラカン県の新工場の本格稼働を2026年内に開始する。投資額は16億ユーロ(約2,600億円)、敷地は半導体後工程(パッケージングとテスト)が主力で、EV、データセンター、蓄電システム、クリーンエネルギー向けパワーモジュールを生産する。さらに2027年第1四半期には、タイ国営エネルギー大手PTTとタイ地場ハナマイクロエレクトロニクスが組んだ合弁FT1 Corporationが、115億バーツを投じてSiC(炭化ケイ素)ウェハー製造工場をタイで初稼働させる。タイの半導体産業はこれまで「組立・テスト国」と位置づけられてきたが、2026〜2027年に「パワー半導体+前工程ウェハー」という高付加価値レイヤーへ歴史的に転換する局面に入った。
これまでタイの半導体産業は、HDD(ハードディスクドライブ)と自動車向けの組立・テストが中心だった。Seagate、Western Digital、AMD、AnalogDevices、ON Semiconductorといった主要メーカーがバンコク郊外、ラヨーン、アユタヤなどに後工程拠点を構えてきたが、前工程(ウェハー製造、フォトリソグラフィ、エッチング等)はほぼ存在しなかった。「タイで組み立てる、台湾・韓国・米国・日本で作る」という階層構造がアジア半導体サプライチェーンの前提だった。
Infineonのサムットプラカン新工場は、後工程に分類されるが、内容は従来のHDD・自動車向け組立とは質的に異なる。パワーモジュール(電力変換用半導体)の組立・テストで、EV用インバーター、データセンター用電源モジュール、太陽光発電用パワーコンディショナーなどに使われる。EVの航続距離、DCの省エネ性能、再エネ電力の効率を直接左右する戦略的部品で、世界市場でのInfineonのシェアは2025年時点でEV向け約30%、産業用約25%に達する。
Infineon投資
FT1 SiC投資
世界シェア
SiCウェハー製造——タイ初の前工程
FT1 Corporationは、タイ国営エネルギー大手PTT(パブリック・カンパニー)とタイの半導体地場メーカーHana Microelectronics(ハナマイクロエレクトロニクス)が2024年に設立した合弁会社だ。115億バーツを投じてSiC(Silicon Carbide、炭化ケイ素)の6インチ・8インチウェハー製造工場を建設し、2027年第1四半期の稼働を目指す。SiCはシリコンより高温・高電圧に強く、EV、データセンター、再エネ電力変換器に不可欠なパワー半導体の基材だ。世界市場では米Wolfspeed、独IIスペースAG、住友電工、Coherent(旧II-VI)などが寡占している。
タイがSiCウェハー製造に進出することは、ASEAN域内では先進的な動きだ。マレーシアもペナンクラスターで先端パッケージング能力強化を目指しているが、ウェハー製造はまだ存在しない。インドネシア、ベトナム、フィリピンには前工程能力がない。タイがウェハー前工程を持つことで、ASEAN域内の半導体サプライチェーンが「ウェハー製造(タイ)→ 後工程パッケージング(タイ・マレーシア)→ 最終組立(タイ・ベトナム)」という域内完結型に近づく構造変化が始まる。
電力を制御・変換する半導体の総称。EV用インバーター(直流から交流に変換)、データセンター用電源モジュール(高効率電力供給)、太陽光・風力発電のパワーコンディショナー(系統連系用変換器)、産業ロボット用モーター制御などに使われる。シリコンSi製とSiC(炭化ケイ素)製があり、SiCの方が高温・高電圧・高速スイッチングに強い。EV普及とデータセンター集積が同時進行する2026〜2030年は、パワー半導体の需要が構造的に拡大する局面だ。Infineonはこの分野の世界トップ3に入る。
サムットプラカン拠点を選んだ理由
Infineonがサムットプラカンを選んだ理由は複数ある。第一に、サムットプラカンは既存の電子機器・自動車部品の集積地で、Seagate、Western Digital、AMDなどの後工程拠点が周辺に揃っている。半導体製造に必要な高純度ガス、特殊化学品、純水、精密機械、専門人材のサプライチェーンが既に確立されている。
第二に、タイ投資委員会(BOI、Board of Investment of Thailand)が半導体産業に8年の法人税免除(ITH)を含む手厚いインセンティブを用意していることだ。先端電子産業向けのBOI承認は2024〜2025年に急増しており、Sunwoda(中国のEV電池メーカー)、AIXTRON(ドイツのMOCVD装置)、Bridge Data Centers(Bain Capital系のDC事業者)など、Infineonと前後する時期に大型案件が連続している。
第三に、地理的優位性だ。サムットプラカンはバンコク隣接で、スワンナプーム国際空港まで30分、レムチャバン港まで2時間。後工程半導体の主要市場である日本、韓国、中国、米国への航空輸送・海上輸送の双方が高速で行える。EECの中核地域でもあり、自動車工場(トヨタ、ホンダ、いすゞ)への陸路供給も容易だ。
日系部品メーカー・装置メーカーへの含意
日系の半導体製造装置メーカー(東京エレクトロン、SCREENホールディングス、ディスコ、アドバンテスト、ローツェ等)にとって、タイ半導体産業の前工程進出は新たな市場機会となる。Infineonサムットプラカンと FT1 ウェハー工場の両方が、装置調達リストに日系の精密装置を入れる可能性がある。タイ拠点を持つ装置メーカー(東京エレクトロン台湾、ディスコのシンガポール拠点等)は、タイ現地への営業・サポート体制の拡張を検討する時期に入った。
日系の特殊化学・材料メーカー(信越化学、SUMCO、JSR、東京応化工業、富士フイルム、住友化学等)にとっては、SiCウェハー製造の立ち上げに必要な高純度シリコン・特殊ガス・フォトレジスト・研磨剤等の供給機会がタイで生まれる。これらは従来、台湾・韓国・日本の前工程ファブが主要顧客だったが、タイへの供給ルート整備が新たな課題となる。
日系の自動車部品メーカー(デンソー、アイシン、トヨタ自動織機、パナソニックエナジー)にとっては、Infineonサムットプラカンが供給するパワー半導体を、タイ国内のEV組立工場で直接調達できる構造になることが意味を持つ。これまで欧州・北米Infineon拠点から空輸していたパワーモジュールが、サムットプラカン拠点から陸路で届く形になれば、リードタイム・物流コストの双方が改善する。タイEV市場のサプライチェーン構造が、根本から変わる局面だ。
注目すべき今後の動き
第一に、Infineonサムットプラカン工場の段階的拡張だ。2026年初頭に第1棟稼働、第2棟・第3棟が段階的に建設される計画。当初投資16億ユーロは完成までの累計で、各段階での追加投資判断が今後の市場規模を示す。
第二に、FT1 Corporation の SiC ウェハー製造の品質・歩留まりだ。SiCウェハー製造は技術難易度が高く、立ち上げ初期は歩留まりが低くなる傾向がある。タイ初の前工程ファブが2027年に予定通り稼働できるか、稼働後どの程度の品質を達成できるかが、ASEAN半導体産業の将来像を左右する。
第三に、他のグローバル半導体大手の動きだ。Infineon・FT1に続き、Texas Instruments、STMicroelectronics、ON Semiconductor、Renesas、Sony Semiconductor、Toshiba Electronic Devicesなどがタイ拠点を持つ場合、ASEAN域内の半導体クラスターが台湾・韓国に対する第3の選択肢として浮上する可能性がある。2026〜2027年の発表ラッシュに注視する価値がある。
日本企業・ビジネスパーソンが意識すべき3つのポイント
第一に、タイ半導体産業が「組立国」から「パワー半導体製造・ウェハー製造の高付加価値拠点」へ転換する構造変化は、日系製造業の中期計画の前提を更新する必要を生んでいる。タイは自動車一本足ではなく、自動車+データセンター+パワー半導体の三本柱体制に移行しつつある。本社経営層の認識アップデートが急務だと考える。
第二に、日系の半導体製造装置・材料メーカーは、Infineonサムットプラカン・FT1ウェハー工場の調達リストに食い込むための営業・技術サポート体制を、2026年下期までに整える必要がある。タイ拠点を持たない装置メーカーは、現地代理店・技術サポート委託先の選定を急ぐべき局面だ。
第三に、タイ国内でEV組立・データセンター運営を行う日系企業にとって、サムットプラカン産のパワー半導体の現地調達ルートを早期に確立することが、サプライチェーンの強靭性と原価競争力に直結する。Infineon、Sunwoda、AIXTRONなどの動きを定期モニターし、自社の調達戦略を四半期ごとに見直す運用が望ましい。

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