【インドネシア企業紹介】Kopi Kenangan|1.5万ドルから始まったコーヒー帝国——創業9年で6カ国1,324店舗・初の通期黒字へ

2017年8月、ジャカルタの繁華街メンテンの片隅に、5坪ほどの小さなコーヒースタンドが開業した。椅子もWi-Fiもない、立ち飲み専用の店だった。3人の若い創業者が用意した開業資金は1.5万ドル、当時のレートで200万円強。看板の店名は「Kopi Kenangan(思い出のコーヒー)」だった。

それから9年が経った2026年初頭。Kopi Kenanganは東南アジア6カ国に1,324店舗を構える「東南アジア発で初のF&Bユニコーン」となり、2025年には初の通期黒字1,700万ドル(約25億円)を達成した。2026年には台湾と湾岸諸国(GCC)への進出を控え、創業者Edward Tirtanataは「インドネシア発の世界的コーヒーブランドを作る」という当初の構想を実現の段階に乗せつつある。

1.5万ドル
2017年、Edward Tirtanataら3名がジャカルタで1号店を開く際に投じた初期資金(約230万円)
目次

失敗したお茶屋から始まった——3人の若者が選んだ「庶民のコーヒー」

Edward Tirtanata(エドワード・ティルタナタ)が初めて起業したのは、Kopi Kenanganの前ではなくお茶のチェーンだった。米国Northeastern UniversityでITを学び帰国した彼は、台湾発のバブルティーをインドネシアに広めようと「Lewis & Carroll」というプレミアム・ティーチェーンを立ち上げた。しかし、客層が限られた高価格帯のお茶は思うように伸びなかった。

その経験で彼が気づいたのは、インドネシア市場の二極構造だった。スターバックスやコーヒービーンといった海外ブランドは1杯5〜7ドルと高価で、駐在員や上流層しか手が出ない。一方、街角の屋台や「Warung Kopi」では1杯50セント程度のインスタントコーヒーが売られていたが、品質も衛生もばらつきが大きかった。「上」と「下」の中間が、ぽっかり空いていた。

2017年、Tirtanataは長年の友人James Prananto、共同パートナーのCynthia Chaerunnisaと組み、3人で1.5万ドルを出し合った。狙いは明確だった。「スターバックスの3分の1の価格で、屋台の3倍の品質」を実現する。1号店はジャカルタ中央のメンテン地区、5坪のキオスク型店舗。座席なし、Wi-Fiなし、ノートパソコンで仕事をする客層は想定しない。「グラブ&ゴー」に徹した。

看板メニューに据えたのが「Kopi Kenangan Mantan(思い出の元恋人コーヒー)」だ。インドネシア人になじみ深い椰子糖(gula aren)と新鮮ミルクを使ったカフェラテで、価格は1杯18,000ルピア(約180円)。スターバックスの半額以下、屋台の3倍だが「ちゃんとしたコーヒー」というポジションが当たった。

SNS発の口コミで火がつき、開業半年で月間10万杯を売る店に成長した。2018年には早期にAlpha JWC Venturesから資金調達。2019年末までに店舗数は200、進出都市は10に達した。創業2年でこの規模に到達したコーヒーチェーンは、世界的にも稀だった。

転機は2020年5月、米Sequoia CapitalがリードするSeries Bで1.09億ドル(約120億円)を調達したときだった。COVID-19のパンデミックが始まった直後、世界中の外食産業が苦境に陥る中で大型資金を集めたのは、デリバリー・テイクアウト中心のビジネスモデルが「コロナ時代に最も強い形」と評価されたためだった。2021年12月にはTybourne Capital主導のSeries Cで9,600万ドルを追加調達し、評価額10億ドルを超える東南アジア初のF&Bユニコーンとなった。

Kopi Kenanganの歩み

「すべてをやろうとした」失敗から学んだ事業構造

ユニコーン化した直後、Kopi Kenanganは大胆な多角化に踏み切った。米国・マレーシア・フィリピン・ベトナム・タイへの海外展開、クッキー専門ブランド「Cerita Roti」、即席飲料・物販ブランド、デザートチェーンなどを次々と立ち上げた。当時のロジックは「ユニコーン評価額を維持するには成長率を保つ必要がある」というものだった。

結果は厳しかった。2022年、Kopi Kenangan Groupは4,522億ルピア(約3,400万ドル)の赤字を計上した。Tirtanataは2025年の取材で当時をこう振り返っている。「2022年以降、私たちは多くのことに手を出しすぎていたと気づいた。それらの脇道が、本業から私たちを引き離していた」

2023年から、Tirtanataは過剰拡張を止め「本業集中」に舵を切った。米国・タイ・ベトナム事業を撤退または縮小し、クッキー専業ブランドCerita Rotiも整理した。残したのは——コーヒーチェーン本業のインドネシア国内、戦略的に意味のある海外(マレーシア・シンガポール・フィリピン・豪州・インド)の5カ国、そして即席コーヒー商品の物販。これでようやくPLが安定化に向かった。

2025年通期、Kopi Kenangan Groupは初の通期黒字を1,700万ドル計上した。売上は1.84億ドル(前年比+45%)。これは2022年の3,400万ドル赤字から約5,000万ドルのスイングを意味する。新規顧客は2025年だけで450万人増、月間デジタル取引ユーザーは前年比2.16倍の150万人に達した。

Kopi Kenanganの地域別店舗構成(2025年末・全1,324店舗)

地域別の店舗構成を見ると、Kopi Kenanganの「インドネシア依存」が依然として強いことがわかる。2025年末時点で全1,324店舗のうち、インドネシア国内が1,136店(約86%)、マレーシアが約158店(12%)、その他海外がシンガポール10店・フィリピン20店・豪州4店・インド数店の合計約30店(2%)という構成だ。

マレーシアは2022年に進出して以来、海外最大の市場として急成長している。現地味覚に合わせて「テタレ風コーヒー」「マレー風アイスティー」などのローカライズ商品を投入し、2025年第3四半期に海外事業全体としても黒字化を達成した。シンガポールは2023年9月に1号店、フィリピンは2024年10月に1号店をオープンしたばかりで、フィリピンでは2026年初頭までに20店舗体制を目指している。

収益モデルは店舗売上が中核で、それを支えるのが自社開発のモバイルアプリだ。月間アクティブユーザー150万人が、注文・支払い・ロイヤルティポイントをアプリ経由で行う。これにより1顧客あたりの来店頻度・購買額データが蓄積され、商品開発と店舗立地の判断に使われている。デリバリーはGojek・Grabといった外部プラットフォームと自社配送の組み合わせで、店舗売上の20〜30%を占めるとされる。

もう1つの収益柱が、即席コーヒー商品の物販だ。スティック型即席「Kopi Kenangan Hanya Untukmu」や瓶入りRTD(即飲)商品をインドネシア全土のスーパーマーケット・コンビニで販売し、店舗未進出の中小都市にもブランドを浸透させている。これがブランド認知の地理的拡大を低コストで実現する手段になっている。

インドネシア・コーヒー戦争——4社が並ぶグラブ&ゴー市場

インドネシアのコーヒーチェーン市場は、過去5年で「中価格帯グラブ&ゴー」というセグメントが急成長した。世界の同業界では珍しく、ローカルブランドが海外大手(スターバックス・コーヒービーン)の店舗数を圧倒している点も特徴だ。

インドネシア・コーヒーチェーン主要4社の店舗数比較(2026年初)

店舗数のトップはJanji Jiwa(ジャンジ・ジワ)で約1,100店。Kopi Kenanganより約100店少ない海外進出を持たないが、地方都市やジャワ島外の中小都市への浸透が深い。価格は1杯12,000〜18,000ルピアとKopi Kenanganとほぼ同等。「庶民派」「土着感」のブランドポジションで、特に若年層の支持が厚い。

2位は中国資本のTomoro Coffee(約650店)。中国の上場コーヒーチェーン瑞幸咖啡(Luckin Coffee)の関連会社が2022年にインドネシアに参入し、2年余りで急拡大した。アプリ専用注文・1杯9,000ルピア前後の最低価格・写真映えするボトル型商品で、Z世代を取り込んでいる。2025年にはジャカルタに2,400トン規模の焙煎工場を稼働させ、ASEAN域内3,000店舗を目標に掲げている。

3位はFore Coffee。2024年にインドネシア証券取引所(IDX)に上場し、上場後最初の通期決算で黒字を維持している。Kopi Kenanganよりやや高価格帯(1杯25,000〜35,000ルピア)のプレミアム路線で、ジャカルタ・スラバヤ・バンドン等の大都市中心に展開する。

注目すべきは、これら4社いずれもインドネシア国内市場が中核という点だ。海外展開で先行しているのはKopi Kenanganのみで、これが2026年以降の「海外プレゼンス」での差別化要因になる可能性がある。一方、店舗数の絶対値での競争は依然激しく、Janji Jiwaとの首位争いは続いている。

3つの強みと、解いていない3つの課題

Kopi Kenanganの強みは、第1に「価格と品質のバランス」というポジショニングそのものだ。スターバックスより安く、屋台より高品質、という中間帯は東南アジアの中所得層拡大と完全に重なる。インドネシアGDP per capita が年率+5%で増えているため、Kopi Kenanganの自然成長ドライバーが10年単位で続く可能性が高い。

第2の強みは、デジタル基盤だ。月間150万人がアプリで注文する規模は、東南アジアのF&Bでは突出している。ユーザーの来店履歴、商品選好、地域別売上が一つのデータベースに集約され、新商品開発と新店立地の判断が高精度になる。同業他社が真似しようとしても、ゼロから150万MAUを獲得するには数年かかる。

第3の強みは、2022年の失敗から学んだ「集中する勇気」だ。米国・タイ・ベトナム撤退、副業ブランド整理という痛みを経て、Tirtanataは「フォーカスする経営者」へと進化した。Bezosの言葉を引用して彼が好んで語るのが「ビジョンに頑固、詳細に柔軟」というフレーズだ。ビジョン(質の高いコーヒーを民主化する)は変えず、戦術(どの国でどう展開するか)は柔軟に変える、という規律が見える。

一方で課題も3つある。第1にインドネシア依存度の高さ。売上の86%が国内市場で、ルピア相場や国内消費の変動に強く影響を受ける。2026年の台湾・GCC進出が、地理リスク分散の試金石になる。

第2に、利益率の絶対水準が低い点。2025年売上1.84億ドルに対し純利益1,700万ドルは利益率約9%。スターバックス(連結営業利益率15%前後)に比べるとまだ薄い。1店舗あたり売上の改善、自社物販比率の引き上げ、デリバリー手数料の削減などで利益率を引き上げる余地がある。

第3に、Tomoro Coffeeの中国系資本との価格競争。Tomoroは1杯9,000ルピアという「Kopi Kenanganより3割安い」価格設定で、若年層の財布の取り合いになっている。Kopi Kenanganがプレミアム化に向かうのか、価格帯を維持するのかの判断が、今後3年の市場シェアを左右する。

2026年は「上場準備期」か「次の海外進出期」か

“東南アジアのスタートアップ最大の問題は、創業者がリソースに恵まれすぎていることだ。数億ドルを調達した瞬間、本当は5番目、6番目、7番目の優先順位の事業に手を出してしまう。”
— Edward Tirtanata(Kopi Kenangan共同創業者・CEO、2025年Northeastern University取材)

初の通期黒字を達成したKopi Kenanganの次の節目は、株式公開だ。Tirtanataは複数の取材でIPO(新規株式公開)の可能性を示唆しており、上場先として東京証券取引所・米国Nasdaq・インドネシア証券取引所(IDX)の3つを比較検討しているとされる。2026年通期で利益が2,900万ドルに達すれば(予想+67%増)、上場時の評価額は20億ドルを超える計算になる。

2026年の事業面の節目は、台湾と湾岸協力理事会(GCC)諸国への進出だ。台湾は東南アジア発のF&Bブランドが攻めにくい市場として知られ、現地大手(85度C、Cama Café)の壁が厚い。GCCはアラブ首長国連邦(UAE)・サウジアラビアを中心に高所得層が集中するが、ハラル認証や現地パートナーシップが必要となる。これらの市場でKopi Kenanganが成功すれば、「東南アジア発のグローバルブランド」というポジションが確立する。

もう1つの注目点は、2026年中に330店舗の追加出店をインドネシア国内で計画している点だ。これにより国内店舗数は1,400店超に達し、Janji Jiwaを店舗数で抜く可能性が出てくる。「Top of mind」の象徴である店舗数首位を取りに行く構えは、Tirtanataの2026年の最大の賭けの1つだろう。

日本企業・ビジネスパーソン向け なるほどポイント

Kopi Kenanganの物語を読み解くと、東南アジアの消費市場と、起業家経営の構造について示唆が見える。

  1. 東南アジアの中所得層拡大は「中価格帯」の市場を毎年作り続ける。プレミアム(外資)と最低価格(屋台)の間に空いていた中間帯を埋めたのがKopi Kenanganの本質的な勝因だ。日系飲食・小売企業がASEANで展開する際、「日本品質をそのまま持ち込む」発想ではなく「現地中所得層の財布に合わせる」設計が成否を分ける。
  2. 「資金が多すぎる」ことが失敗の原因になる。Tirtanataの「資源に恵まれすぎる」という言葉は、潤沢な資金を持つ企業ほど本業から逸れた投資を始めるという経営の罠を指している。スタートアップ投資だけでなく、日系企業の海外現法経営にも同じ構造がある。
  3. ユニコーンの「次」は、撤退の上手さで決まる。Kopi Kenanganは2022年に米国・タイ・ベトナム撤退、副業ブランド整理という痛みを経て黒字化に到達した。「拡張」よりも「撤退」のほうが経営判断として難しい。グローバル展開する日系企業にとっても、引き際の判断力が長期的な収益性を決める。

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